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諏訪神社
御祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)
所在地 大門11-1
交 通 ・東上線下赤塚駅、成増駅から徒歩約25分
・成増駅北口から赤羽行きバスで赤塚八丁目か四葉町下車徒歩10分 |
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歴史
赤塚城主千葉自胤(よりたね)が大田道灌の助けによって付近の敵を討ち鎮め、やっと一息ついた文明年間(1469-1487)の創建。軍の神として信仰していた信州の諏訪大社の分霊を請けてこの地に祀り、赤塚城の鬼門除けとしたと伝えられています。
鳥居の奥の朱塗の随身門は、矢大神、左大神が安置されています。
こぶケヤキ
大門五丁目に一本の大きなこぶケヤキがあります。このケヤキは区画整理前の諏訪神社の参道入口の目標物だったそうです。
十羅刹女堂(じゅうらせつめどう)
こぶケヤキから諏訪神社方面へ長い参道を行くと、最初に目につくのが小さいお堂と甲冑姿の二体の石像です。この堂は寛永7年(1630)頃祀られた鎮守であった十羅刹女堂(じゅうらせつめどう)で、明治の神仏分離の際に廃するまでは今の正面本堂の所にあって、田遊びの祭もこの十羅刹の祭りだと江戸時代の記録に記されています。十羅刹さまは子供の守り神として今も信仰されています。隣の社はもとケヤキの前にあったもので、須佐男尊(スサノオノミコト)をお祀しています。背後の小山は人造富士山で、富士浅間信仰の遺物です。
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田遊び
同社に古くから伝えられている田遊びの神事は、現在も毎年2月13日夜行われており、昭和51年北野神社の田遊びと供に国の重要無形民族文化財に指定されました。昭和58年には区の登録無形民族文化財(民族芸能)になりました。
田楽舞が地方の風俗習慣に溶け込み、いろいろな形で伝承されていますが、五穀豊穰を祈る心には変わりありません。神殿の前に二間四方に笹竹の柱をさし、しめ縄を張りめぐらせて聖域を作ります。これを「もがり」と呼び、この中で祭りを行う人を役人といい、神と人の中間にある神人を意味して、この人たちだけにしか入域を許されていません。このもがりの中で大稲本、小稲本の音頭で中心の太鼓を田になぞらえてその回りを回りながら唄と手振りで農家一年の農耕行事の素振りを面白く続けます。こうして田の神様を一夜楽しませてその年の豊作を願う素朴な祭りです。ここの田遊びは神輿の行列が特徴的で、神職が先導しこぶケヤキの大木を回って帰り(現在は手前の広場まで)、村周辺の豊作を祈る訳です。
祭りのしめくくり大かがりに火をたいて、旧年の罪けがれを焼き払います。
獅子舞
毎年3月中旬と9月中旬に行われます。 この起源は延宝年間(1673〜1680)からといわれ、その年の五穀豊穣と悪疫退散を祈願して、諏訪神社と八幡神社に奉納し各村の要所で舞われました。戦争のため一時中断しましたが、昭和28年(1953)に復活し現在に至っています。昭和58年度区の指定無形民族文化財になりました。
夫婦銀杏
本殿前の左右に大きな銀杏の木があります。高さ約20メートル。樹齢は不明。夫婦銀杏といって縁結び、夫婦和号の信仰のある大樹です。本殿に向かって右が雄、左の方が雌銀杏です。
(板橋区教育委員会資料より) |